旧陸軍弾薬庫跡のガジュマルの木が平和の願いを物語っているようです

こんにちは。
自然豊かな奄美大島で、いろんな自然の絶景ポイントがありますが、自然だけでなく歴史を物語っている史跡もたくさんあります。
そのひとつ、瀬戸内町手安にある旧陸軍弾薬庫跡に行ってみました。

噂には聞いていたのですが、実際に行ってみるのは初めてです。

瀬戸内町古仁屋の市街地から県道79号線を車で、およそ7分のところに看板があります。
どうやらここを右に入るみたいです。

看板の向かい側のガソリンスタンドの脇にまた看板があります。ここを入って行きます。
数10m入ったところで行き止まりになりました。それらしきものはみあたらないようなのですが、
よく回りを見てみると、こんな看板をみつけました。この弾薬庫は、昭和7年に完成して、
終戦まで地元の住民にも存在をしられてなかったそうです。
どうりで、入り口が分かりにくかったんですね。弾薬庫としては、
規模構造ともに日本でもっとも優れているそうです。

 

これが、その入り口。中は真っ暗です。初めて入るにはかなりためらいがあります。
が、せっかくここまで来たので入ってみます。

 

数m入ったところで、コンクリートのトンネルの向こうに、うっすらと明かりが見えます。
もうちょっと中まで進んでみます。

 

さらに奥に進むと、広いスペースが
この日は、11月下旬なのに25℃を越え、夏日を記録していたのですが、中はヒンヤリとした空気が充満してます。
音を出すとすごく反響します。

3つある弾薬庫跡のうち2つは入れますが、残りのひとつはこのように扉が閉まっていて入れなくなっています。
これは国が設置した地震観測所みたいです。地震観測計は、堅い岩盤の上に設置しなければいけなくて、
しかも温度変化の少ないところが適しているため、この弾薬庫跡が最適なのだと看板に書かれています。
ここで観測された地震のデータは防災研究に活用されているそうです。
戦争の爪あとを残した負の遺産といえるかもしれませんが、このように有効に利用されている

ここ奄美大島の瀬戸内町の大島海峡に面した地域は、第一次世界大戦後から第二次世界大戦が終わるまで、
国境を守るため旧陸軍によって「奄美大島要塞」が築かれていた地域で砲台など戦争の記憶が多く残っている地域です。
機会があればひとつひとつ巡ってこの島で何が行われていたのか調べていきたいと思います。

弾薬庫の入り口付近にあるガジュマルの木。奄美大島のいろいろな歴史を見守ってきたような荘厳な雰囲気です。
今にも木の妖精がでてきそう。
もう二度と、ここに武器の保管に使われることのないよう、いつまでも平和な島であるよう私たちに伝えているように感じました。

場所は、瀬戸内町手安のガソリンスタンドから入った場所で、南部大島自動車学校の目の前です。


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